街に架かる橋


 休日のデパート。混みあう各階のフロアを尻目にエスカレーターだけを次々と乗り継いでゆく。そうして七階、八階。また高いところか。エスカレーターの二段上に立つ彼女の背中を見ながら、わたしは心の中で呟いた。学校の屋上。金網にしがみついて真下を見降ろしながら「ここから飛び降りたら、どれくらい痛いかなぁ」と呟いたのは、中学生の時。高校生の時一緒に行った岬の展望台では手すりから身を乗り出し、断崖の下に砕ける波を見つめながら「ここから飛び降りたらぁ、気持ちいいだろうねっ」と、そう言って空を仰いで両手を広げていた。昔からそう。彼女はそういう所へ行ってはそこから落ちてゆく自分のことばかり考え、そのことを口にする。そうしていつもわたしを戸惑わせていたのだった。
 九階でエスカレーターを降りフロアーへ出る。そこをただ素通りし、フロアーの片隅へと向かう通路を歩いてゆく。通路はやがてガラス戸に突き当たった。「ここがね、わたしのお気に入りの場所なの」そう言って彼女はガラス戸を押し開いた。「この街で一番高いところに架かる橋だよ」と。
 一本の道路を挟んで向かい建つ、デパートの1号館と2号館。その間を地上九階の高さで繋ぐ、そこは空中の連絡通路だった。ガラス戸を抜け、通路へと出た。通路には雨混じりの外の風が吹き抜けていた。屋根はあるけれど、通路には壁もガラス窓も無く、外と内を仕切るのは一枚の金網だけだった。通路の中央まで進み、外を眺める。足元から雨に霞みゆく視界の先まで、ずっと一直線に伸びる道路。その道路を挟み、高い建物が延々と建ち並んでいる。街に架かる橋。ビルの谷間に架けられた、それはまるで渓谷の吊り橋のようだった。
「仕切りが金網だけ、ってのがいいのよ」金網に片手を添え、額をその手に押し付けた格好で、彼女は金網越しの真下の道路を覗き込んでいる。わたしも彼女と同じ格好で路上を見つめる。風と共に金網を抜けてきた雨が時折額に当たった。
 ねぇ、とわたしは口を開いた。「また落ちること、考えているんでしょう」
 彼女は答えない。真下へと向けたままの彼女の視線の先、一輪の傘がゆっくりと、川面の小さな落ち葉のように橋の下を流れてゆく。
「わたしにとって、ね」と、突然彼女が言った。「落ちることを考える、ってことは、落ちることを学ぶことなの」
 彼女を見た。その時、横顔のその頬を濡らしていたのは、雨粒だろうか、それとも。視線を彼女から逸らし、路上へと戻した。粒の大きさを次第に増し、雨が降り続いている。広い空から疎らに降り落ちる雨粒も、真上から見ると地上のただ小さな一点に吸い込まれてゆくように見える。その一点に雨粒と共に吸い込まれてゆきながら、彼女は何を学んでいるのだろう。
「落ちることを学んでいるから、本当に落ちずに済んできたのよ」ふと彼女は呟いた。


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